あいさつの意味

 今日は近くの山に登ってきた。今住んでいるところは近くに身近なハイキングコースがあるのでよく出かける。不思議なことに日本では、出会うたびに知らない人であっても「こんにちは」とか「おはようございます」という。町中ではお店の人がいつもいうかな(マニュアル化していることもあるかもしれないが)。また、知っている人であれば、家族、近所の人、職場の人はとは会うと普通はあいさつを交わす。

 今回改めて考えたのはあいさつとはどういう意味があるかということだ。いろいろな本やインターネットにその意味が書かれている。そのいくつかを拾い出すと、

「挨拶」はコミュニケーションの基本、入り口だと言うことです。
私たちは、家族や友人、同じ目的を共有する仲間や、また初対面の方とも、相手を尊重しながら、お互いの考えや思いを伝え、理解し合おうとします。

相手の存在を認めていることを強力に表せることです。

あいさつは、心を開き、相手を対等で同じ地球に生きる仲間として認め、信頼関係を築いていく大切な一瞬だ。

など・・・・etc.

 確かにその通り。相手があってこそあいさつと言える。一人で誰もいないところでこんにちは、といっても普通それはあいさつと言わないであろう。でも、人でなくて動物に対してもあいさつをすることはある。ペットの犬や猫におはようというし、もしかしたら金魚にも言う人がいるかもしれない。

 人はもちろんだが、生き物に対しては言うのに物に対しては言わないだろう。やはり相手あってのあいさつと言えそうだ。今回、考えたのは、相手があいさつを返す場合と返さない場合についてである。今日登山道で出会ったほとんどの人が、あいさつを返す(わたしも返すよう心がけた)が、中には全く無言の人もいる。一般的にあいさつは返すのが普通だと思われているが、返さない場合も結構ある。お店の人が言うあいさつに返す人は少ない。ましてやペットにあいさつしても言葉では絶対に返ってこない。こちらから人にあいさつをしても返って来なかった場合を考えると、知り合いの人はもちろんだが、知らない人でもせっかくあいさつをしたのになぜ返ってこないの、などどちょっとがっかりする気持ちになったことはないだろうか。上に掲げたあいさつの意味から考えると、こちらが相手の存在を認めて信頼してあいさつしているのに返さないということはこちらの存在を認めていない、信頼がないのか、なんて.......まるであいさつの見返りを求めてしまう期待をしてしまうようなことがあるんですよね。ともするとあいさつしてやっているのにといった傲慢さが出てきてしまうこともある。よく考えるとあいさつだけではないのだけども、初めから見返りは求めない期待しない方が気持ちがスッキリするような気がする。

 もっと言えば相手の反応を気にすることなく、相手がしようがしまいが関係なくあいさつをすればいいのかな、と思うのだがどうだろうか。あいさつは自分のためにもすると考えてもいいかもしれない。相手がいれば、まずは自分から声を出す(気持ちがこもっているかどうかはともかく)ことがスタート地点かな。

こんにちは!(ちょっと表情が・・・)