比べることは、いいことなのか、だめなことなのか

 今日は、お寺の和尚さんの話で、他と比べると言う説話があった。ここのお寺の道場は修行が厳しいが、あそこのお寺の道場の修行はやさしい。では、やさしい方のお寺に入って修行しようと入門した。ところが、やさしいどころか思っているよりかなり厳しい。やさしいと思ってやってきたのに違うじゃないか、と思う。一方、厳しい道場に入った人は、あそこの道場はうちよりもやさしい。いいなあ。それに比べてここは厳しすぎる、と思う。どちらも他と比較して思っている。さてこれはどういうことなのか?これは、やさしい、楽をしたい、という気持ちが初めにあって、それを嘆いているという状況である。そういった先入観をもって物事に取り組めば結局はいやだなあ、という気持ちが先行してしまい、修行も続かなくなってしまうことにもなるという。だから、ひとまず、どちらに入ってもそこでの修行にひたすら取り組めば2週間で慣れてきて修行も続けられる。といったような話であった。

 私なりに考えてみた。2つの物、またはそれ以上のの物を比較して選ぶということは毎日あることである。赤と黄色のどちらの服が自分にあっているか、塩ラーメンと味噌ラーメンのどちらが美味しいか。どちらが安いか高いか。どちらが得か損か、アメリカとイギリスどちらに行きたいか。いくらでもある。大きな選択ではどちらの仕事にしようかなどはとても慎重になってくる。問題は、どちらにしても選んでしまったら、できるだけ後戻りはしないことかもしれない。買ってしまってからやっぱりあちららの方がよかった、もっと安いのがあったのに、あちらの仕事の方がよさそうだ、もっと美味しいと思っていたのに…・・など。こうしたことはよく起きることである。では比べなければいいのか?そういうことではないだろう。比べてもいいけど、決めたらどうするかだ。また、決める前からこちらの方が楽な仕事だから、これが美味しいから、といった思い込みをして比べて決めている。思うに、決める前でも、決めたあとでも、自分の勝手な思い(妄想)がうずまいている。もっといえば、比べてそれにこだわりやとらわれがあるために、しまったなあ別の方にすればよかったといった思いが出てきてしまうのではないだろうか。以上に述べたことは、私など常日頃にあることだが、初めてみたときとちがうなあとか、別の方法があったのになどど考えることなく、選んだらそれでひたすらやるだけと考えたい。むずかしいけどね。

  あと、よくやってしまうのは、自分と他人とを比べるということ、あいつはオレよりカッコいい、よくできる、いい車ををもっている。逆にあいつはオレよりみっともない、できない、ポンコツ車だ、など…。ついコンプレックスやら優越感やらが頭を持ち上げてくると始末に負えない。

 比べることは決してだめなことではないけど、比べたあとの心の持ちようかな。そのことでああだこうだというとらわれが少しでもなくなれば別に比べることはいいんじゃないか、とも思うけどもどうだろうか。

花はどちらが美しいとかくらべていないんだよなあ